高野口町の観光スポット

2013-10-01

高野口町には数多くの観光スポットがあります。

是非、直接皆さんの目で確認してみてください。
黒丸の番号をクリックしていただくと、説明文にジャンプします。

 

高野口町地図

高野口公園
住所 高野口町大野 757
googlemap http://goo.gl/maps/45d4R
JR高野口駅北側の庚申山に八幡神社と高野口公園の桜の名所があり、
春(4月上旬)になると近在から多くの人々が花見にやって来る。
公園の頂上に登ると展望台があり、紀ノ川流域が一望できる。

パイル織物資料館
住所 橋本市高野口町名倉1067
googlemap http://goo.gl/maps/jmJUE
高野口町周辺のパイル織物の歴史や現代の織物について分かりやすく紹介する施設で、パイル織物誕生110周年を記念して昭和61年(1986)に会館した。「再織り」や「シールメリヤス」そして新製品等の展示を行い、ショールーム的な機能も果たしている。

住吉神社
住所 橋本市高野口町名古曽
googlemap http://goo.gl/maps/sTSpi
伝承として、天正10年(1582)織田信長の高野攻めの時、織田方の武将松山庄五郎が名古曽に布陣の際、戦勝を祈願して、堺の住吉神社を勧進したものという。毎年7月31日は住吉神社の大祭で、境内は参拝者で埋め尽くされる。

住吉運動公園
住所 橋本市高野口町名古曽1390
googlemap http://goo.gl/maps/qaY9r
平成8年(1976)8月名古曽の住吉神社北東の小高い丘にあり、多目的広場・野球場・テニスコート(6面)があり、町民のスポーツ等に利用されている。手前には高野口町水道事業所がある。

名古曽廃寺
住所 橋本市高野口町名古曽
googlemap http://goo.gl/maps/zPXyI
昭和51年(1976)と平成2年(1990)の発掘調査で、白鳳時代の三重塔礎石・金堂の基壇・複弁蓮華文の軒丸瓦などが出土発見され、7世紀後半に建てられた法起寺式伽藍配置の寺院跡と確認された。

三彩壺出土地
住所 -
googlemap http://goo.gl/maps/EAvXx
名古曽の柿畑から昭和38年(1963)偶然掘り出された「三彩の壷」は、わが国で作られた奈良三彩の第一級品で、京都国立博物館に重文として展示されている。尚、「三彩の壷」の寸法は高さ22,5cm・中央のふくらみ直径27,5cmです。
※「三彩の壷」のレプリカが橋本市産業文化会館1階のホールに陳列されている。

引の池
住所 和歌山県橋本市高野口町応其
googlemap http://goo.gl/maps/mT7im
天正15年(1587)3年間の苦労の末、応其上人によって引の池の築造が行われた。「引の池」の竣工によって、農地の拡張、畑の水田への転換など良田と化した。

応其太神社
住所 橋本市高野口町応其‎
googlemap http://goo.gl/maps/XH2CD
当神社の草創年代はらかではないが、明和8年(1771)と記された石灯籠が一対建っている。境内からは土器片や布目瓦等が出土し、平安時代に起源があると思われる。
境内には珍しい雄雌のの木があり、「ナギ」は「凪」に通じ、現世安穏・交通安全・良縁結びの信仰がある。

殿の井戸
住所 -
googlemap -
JR高野口駅附近から政所一族某氏の館跡が発見され、政所一族共通の城があったと思われ、その当時使用された井戸であったことが推測される。

高野口小学校
住所 橋本市高野口町名倉226
googlemap http://goo.gl/maps/WGxFA
昭和12年(1937)に完成した檜造り1階建て校舎で、廊下の長さは延べ約340mを超える。郷愁を感じる迫力ある校舎は、映画撮影にも利用され、建築物として文化的観点からも貴重な木造1階建て校舎です。

せせらぎ公園
住所 -
googlemap -

この公園は、江戸時代学文路の大畑才蔵が紀州藩主徳川頼宣公から小田井堰や小田井用水路の工事を命じられた。その小田井用水路の上部を利用して約500mの長さの歩行者専用のせせらぎ公園を造り、公衆トイレや、ベンチなどを設置、夏には噴水、四季折々の花の咲く樹木が植えられ多くの人々の憩いの場所となっている。


産業文化会館

住所 橋本市高野口町向島135
googlemap http://goo.gl/maps/Uh7kO
平成2年(1990)竣工式、3階建てで1階は大ホール、2・3階には会議室などがあり、橋本市内はもちろんのこと、市外からもイベント等に利用されている。西隣の温水プールも同月に竣工された。

前田邸
住所 橋本市高野口町名倉392
googlemap http://goo.gl/maps/DBWpX
前田家は江戸時代から薬種商を営み、庄屋を勤めた事もある旧家、塀で囲まれた広い屋敷を有し、旧大和街道と高野参詣道の交叉する位置にあり、主屋(江戸時代)は、つし2階建て・中書院(明治時代)は平屋建て・書院(大正時代)も平屋建て・土蔵(江戸時代)は2階建てからなる町屋です。

裁ち寄り処
住所 橋本市高野口町名倉288
googlemap http://goo.gl/maps/FxBlk
平成16年(2004)秋に「元幸福銀行高野口支店(平成4年ふるさと建築観賞)」の建物を取得。高野口中心市街地の拠点としてオープンした。1階はパイル織物等の展示や販売、2階では諸会議やパソコン教室(有料)などが行われている。

地蔵寺
住所 橋本市高野口町名倉993
googlemap http://goo.gl/maps/rOzzz
延宝5年(1677)の大指出帳にはすでに地蔵寺の名があった。当時西隣に西福寺(廃寺)があり座衆の寺であった。それに対し地蔵寺は平(新たに村入りした人)の建てた寺と伝えられている。

瀧の井戸
住所 橋本市高野口町名古曽1029
googlemap http://goo.gl/maps/iH6wy
湧き水の絶えることがなく、和泉山脈の修験者が毎年葛城の峰入りの際に、この瀧の井戸で七日間水垢離をして、高野山へ帰山すると伝えられている。井戸の後方に東から稲荷神社・薬師堂・住吉大神宮が祀られ、昭和62年(1987)「紀の国名水」に選ばれた。

名古曽蛭子神社
住所 橋本市高野口町名古曽829
googlemap http://goo.gl/maps/aYxWm
約300年前に創建されたと伝えられている神社で、毎年1月の「十日えびす」には近郷から多くの人々が参詣に訪れて大いに賑わう。

小田神社
住所 橋本市高野口町小田76
googlemap http://goo.gl/maps/4PIdM
橋本市内唯一の式内社、小田神社は度重なる兵火により焼失、古い記録は何も残っていないが、紀州藩主徳川頼宣公によって、社殿が復興された。現在秋祭りには、「神楽」などの奉納が行われている。

清涼寺
住所 橋本市高野口町小田430 
googlemap http://goo.gl/maps/SDUZh
伝承によると、昔は4町(436m)四方の寺域を有し、七堂伽藍十二坊があり、九度山町の慈尊院を「女人高野」と呼ぶのに対し清涼寺は「口の高野」と呼ばれた。深く皇室の信護を受ける。高野山行幸の際、旅程の最後に宿泊をされた大寺であった。

小田井堰
住所 -
googlemap -
学文路村庄屋の生まれ、大畑才蔵により宝永4年(1707)3月に第1期工事として小田村に井堰を造り紀の川の水を穴伏川まで約20km流す工事をし、第2期工事として名手川まで約6kmの工事をする。それまで「月夜でも乾く」と言われた紀の川平野の農地を、紀の川の水で潤す大工事をした。

大光寺
住所 橋本市高野口町伏原1179
googlemap http://goo.gl/maps/h2r8R
当時の創建についての年代は明白でない。再建されたのは宝暦13年(1763)で、宝物として「親鸞聖人時雨の御影」などがある。境内には傘を広げたような美麗壮観な「しぐれの松」の老樹がある。

普問院
住所 和歌山県橋本市高野口町伏原154
googlemap http://goo.gl/maps/UHgdJ
開基は聖徳太子、中興の祖は行基菩薩との伝承あり、この地に法華経を埋葬したと伝えられる。大師堂の本尊の弘法大師像は明治初年まで天野に祀られていが、神仏分離によりこの寺に安置されたと伝わっている。

若者広場
住所 -
電話番号 -
JR高野口駅附近から政所一族某氏の館跡が発見され、政所一族共通の城があったと思われ、その当時使用された井戸であったことが推測される。


Copyright© 2013 高野口町商工会 All Rights Reserved.